「……ま。……ま」

 誰かが、私の名を呼んでいる。

 ああ、誰だろう?

 ひどく懐かしい気がする。

姉様」

 私の元に駆けてくる少女は、大事そうに両手で琵琶を抱えている。

 見間違えることはない。

 その琵琶は私の星輝月雫(しょうきげっだ)と対になっている星輝陽恵(しょうきようけい)だ。

 この少女はわたくし(・・・・)の妹。

 認めた途端、少女の姿は一歩足を進めるごとに成長していく。

姉様、見つけました」

 嬉しそうに笑い、私の胸に飛び込んでくる頃には、見上げるほど高くなっていた。

 今の私よりも年上だが、その姿は懐かしくもあり、大切な愛おしい妹だ。

「玉環ちゃん」

「はい、姉様」

 私が抱きしめると、同じように背に腕を回す。

 温かい。

 もう会えるはずがなかったのに、こうして抱き合うことができるなんて幸せだ。

 この熱に溶かされてしまいそう。

 浸りきっている私の髪を撫で、無垢な瞳で視線を合わせてくる。

「何故、わたくし達を殺した邵可など好いておられるのですか?」

 無垢な瞳で私を覗き込む。

「ねえ、姉様」

 怖い。

 黒曜石を思わせる玉環の目が初めて怖いと感じた。

 そんな目で私を見ないで欲しい!

「ちがっ、違います、玉環ちゃん」

 弁明を。

 言い訳を。

「わたくしは、べつにあの子のことなど……」

姉様、わたくしに嘘を吐くのですか?」

 ああ、やめてほしい。

 もう、嫌だ。

 逃れるように頭を振る。

「忘れてはなりません。あの男はわたくし達を殺したのです」

 心臓が跳ねる。

 忙しく速く動いて息苦しい。

「やめて」

 絞り出した声は震えていた。

「いいえ。姉様が忘れておられるようなので」

 容赦ない妹の言葉にその場に座り込んだ。

「わたくしたちの甥の子は、わたくしたちを殺しました」

 目を瞑る。

「理由はお分かりでしょう」

 耳を塞ぐ。

「あの者は、紅家が大事だったわけではありません。弟達のためだけです」

 なおも声は聞こえてくる。

「邵可は姉様よりも弟達を取ったのです」

 決定打だった。

 そう、知っている。

 あのときは分からなかったけど、小説にその部分が書かれていたので理由は理解していた。

 だけど、改めて言葉で言われると痛い。

 傷口に塩を塗り込められ、抉られたような衝撃に涙が零れる。

 何よりも、玉環の口から出たのが耐えられない。

「玉環ちゃん」

 妹に会えたのが嬉しかったのに、奈落の底に突き落とされた気分。

 何がいけなかったのだろう。

 いっそ、記憶などなければ良かったのに。

 それとも、友達に薦められるままに彩雲国物語を読んだのがいけなかったのか。

「いいえ」

 玉環が否定する。

 答えが知りたくて蹲ったまま、ぼんやりと顔を上げる。

「邵可を好いたのが間違いなのです」

 哀れむような嘲笑するような表情。

 やめて、そのようなこと言わないで!

「あのような者を好いたのが間違いなのですよ」

 歌うような玉環の言葉に被さるように琵琶の音が響く。

「お可哀想な姉様」

 懐かしい大好きな音色。

 私もこんな音を出したかった。

 星輝陽恵を手にした琵琶姫の演奏。

 地に両手をつく。

 自分が情けなくて堪らない。

 玉環の言う通り、あの子を好きになったのが間違いなのだ。

 私にあの子を愛する資格なんてない。

 だって、あの子は黎深達のためだけにわたくしの可愛い妹を殺したんだから!

 そんな人を愛していいはずなんかない。

 嗚咽が零れ、息が上手くできない。

 ああ、もう駄目だ。

 駄目だよ。

 このままじゃ、いけない。

 あの子を好きなままじゃいけない。




 唐突に目が覚めた。

 目に入った見慣れた天井に、今までが夢だったことを知る。

「……玉環ちゃん」

 涙が後から後から流れ出る。

 大好きな愛おしい妹。

 星としてこっちの世界に戻ってから、何度も見た玉環が出てくる夢だけど、今日ほど酷かったものはない。

 警告、なのかもしれない。

 これ以上、あの子を好きになっちゃいけないという。



  



2008.8.19