轟々と雨が降る。

 今日は賃仕事の予定がないので、邸で秀麗の子守をしている。

 は内職に勤しみ、静蘭は雨漏り対策をしている。

 ここにいないのはあの子だけだ。



 先ほどから秀麗は私の傍から離れない。

 一日中私がいるからとも思ったが、どうやら少し違うらしい。

 外は雨。

 雷が鳴りそうな悪天候。

 秀麗は雷が嫌いだ。

 薔君がいなくなってしまったのが、雷の鳴った大嵐の日だったからだ。

 二胡を弾いてあげようとしたけど、私の腕では気が紛れないだろう。

 どうしようかと考えて、前、黎深に貰った『星輝月雫』を思い出した。

 あの子の反応が怖いから、いないときを見計らってこっそりと弾いているが、弾き足りないときは街に出る。

 思う存分弾けるし、お金も手に入るので、一石二鳥だ。

「お嬢様、今日は『蒼遥姫』をお聞かせしますね」

 いずれ、秀麗は官吏になる。

 そのために、色々なものを身につけさせてあげたい。

 国試のような難しい勉強は教えてあげられないが、物語や曲などの知識はある。

 自分にできることは、全て教えてあげたい。

「そーよーき?」

 首を傾げる秀麗に頷く。

「はい。蒼遥姫です。彩雲国初代国王、蒼玄王の妹です」

 バランと弦を弾くと、秀麗の目が輝く。

「ひーて、ひーて!」

 急かされてさっそく弾き始める。




 曲が弾き終わるころになると、秀麗はうとうとしていた。

「眠いんですか?」

「んぅー、へーきなのぉ」

 否定するも、すでに舟を漕いでいる。

 寝るのも時間の問題。

 幸い、ここは私の室なので寝台がある。

「お嬢様。寝るのは子どもの仕事ですよ」

 琵琶を片付け、秀麗を抱き上げる。

「しゅーれー、もぉ、子どもじゃないもん」

 プイッと横を向き、頬を膨らませる。

「それでは、もう、添い寝をしなくてよろしいんですね? 大人は一人で寝るものですから」

 澄ました顔で言えば、秀麗は慌てて首を振る。

「やー! いっしょがいーの」

「では、寝ますか?」

「……もいっしょね」

 ギュッと私の服を掴む。

 ああ、可愛い、可愛いけど、どうしよう?

 そろそろお昼の時間だから、ご飯を作らないといけない。

 昼食は基本的に、私と静蘭が作るようにしている。

 家人の中で年長のは忙しいから、凝ったものを作らないでいい昼食ぐらいは、私たちが作ろうということになったのだ。

……お金がないので、質素にするしかないとも言うけど。

 静蘭は元々器用なせいか、何でも無難にこなしてしまう。

 菜だって私のほうが長年の経験からできるはずだったんだけど、哀しいことに静蘭のほうが上だ。

 でも、お茶やお菓子なんかは私のほうが上。

 けど、胸を張れるほどじゃないし、女としてちょっぴり切ない。

 少しでも腕を上げるため、菜はサボらずにやってたんだけど、これじゃあしょうがないか。

 ごめんね、静蘭。

 今日のお昼は、静蘭に任せるよ。

「はい、お嬢様。一緒に寝ましょう」

 寝台に下ろすと私の手を掴み、いそいそと布団を被る。

「お休みなさい、お嬢様」

「おやしゅみ、

 そう言うと、あっという間に眠りに落ちた。

 片手で器用に私の服を掴みながら。

 雨音に耳を澄ませていると、刹那、空が光った。

 やばいと思った瞬間、大きな音で雷が鳴った。

 慌てて秀麗を見ると、閉じていたはずの目蓋が開いている。

「お、お嬢さ」

「やああああああああ!!」

 絹を裂くような悲鳴が上がる。

「やああ、やああああー!」

「落ち着いてください、お嬢様」

 必死で宥めようとするが、さらに大きな声で、無茶苦茶に暴れる。

「やだやだやだー! かー様ぁー!!」

「お嬢様、大丈夫ですから、大丈夫ですから」

 体を抱きしめ、優しい声で何度も繰り返す。

?」

「はい、お傍にいます」

 廊下からドタドタ走る音が聞こえてくる。

「「何事ですかっ?!」」

 包丁を持った静蘭と、鋏を構えたがやって来た。

 ようやく落ち着きそうだった秀麗は、二人を見てまた泣き叫び始めた。

 そりゃあ、そうだろう。

 五歳児が今の二人を見たら普通泣くよ。

 私でさえ、ちょっぴり怖いもん。

 静蘭は持っている包丁で斬りかかってきそうだし、は持ってる鋏で滅多刺しにしてきそう。

 ちょっと、二人のタイミングが悪かったみたい。

 秀麗は私に抱きついて、二人を見ないように縋っている。

 二人は二人で、どうして自分たちを見て泣き出したのか分からず、パニック状態だ。

 ごめん、今の私にできることは一つ。

「えっと、出て行ってね。お嬢様が怖がってるから」

 二人に退出を促す。

 思いっきり傷ついたように、秀麗を見る二人だが、怖がられているのが分かったらしく、素直に出て行った。

「お嬢様、大丈夫ですよ、ね?」

「ううっ、ー。包丁おばけがー、鋏よーかいがー」

 包丁お化けと鋏妖怪?

 包丁を持っていた静蘭が包丁お化けで、鋏を持っていたが鋏妖怪なのかな?

「かー様をくしゃったみかん畑へ連れてくのー」

 えぇっ?!

 静蘭とが薔君を腐ったみかん畑にへ連れてく?

 うわーんと大泣きする秀麗の頭を安心させるように撫でる。

 一体、どういうことだろう?

 あれかな?

 見ていた夢の内容に見事、二人が重なって見えた、なんて……。

「大丈夫です。奥様はつよーい狼が連れ戻してくれますよ」

「お、おーかみしゃんが?」

 パチクリと瞬きする。

「はい。狼は……せ、正義の味方なので、良い子の願いを叶えてくれるんですよ」

 咄嗟に狼なんて言ってしまったが、あの子は決して正義の味方なんかじゃない。

 これならみかんのほうが……て駄目だよね。

 腐ったみかん畑に連れて行くのを止めるみかん。

 何かちょっと嫌だ。

「ほんと? しゅーれー、良い子になる!」

「まずは、泣き止みましょう。狼に笑われてしまいますよ」

「うん!」

 目を擦り、ようやく泣き止んだ。

 ぐぅぅぅぅ。

 秀麗のお腹が鳴った。

「さ、お嬢様、お昼の時間ですよ」

「きょーは、何だろーね?」

「そうですね。さ、行きましょう」

「うん」

 手を繋ぎ、歩いて行く。

 この手の温かさに、私は心底秀麗を守りたいと思った。



  

2008.2.13