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「玉麗大叔母様」 顔を輝かせて黎深がやって来る。 子犬のように慕ってくれるのは嬉しいが、前から気になっていたことがある。 「あのね、黎深ちゃん。今の私は大叔母ではなくて従兄妹なのですよ」 だから、大叔母様と呼ばれるのはおかしい。 「では、何と呼べばいいのですか?」 「普通に玉麗と」 黎深が玉麗と呼ぶのなら、私も呼び方を改めた方がいいかもしれない。 紅家当主をちゃんづけで呼ぶなんておこがましすぎるだろう。 「わたくしも貴方を黎深様と呼びましょう」 「だ、駄目です! その呼び方は却下です」 「あら、どうしてですか? それとも、当主様と……」 「玉麗大叔母様!」 しまった、これは地雷だ。 ない頭をフル活動させて思いつく。 「黎深兄様」 普通に考えれば、これが一番無難。 「に、ににに兄様。私が、玉麗大叔母様のあ、ああああ兄上。私が兄上」 耳まで赤くして悶えている。 相変わらず、可愛い子だなぁ。 生暖かい目で黎深を眺める。 世界が終わった。 色が褪せ、音が心に響かず、食べ物が喉を通らず、何をするにもやる気が起こらない。 室の前に人の気配がする。 「失礼します、旦那様。ご飯をお持ちいたしました」 幼さの残る高い声。 「……そこに置いておいてくれ」 早く、早く一人にして欲しい。 だが、そこから動こうとしない。 「どうしたんだい? 私に構わず、そこに」 「……りがと、ございまし、た。お医者様、呼んで頂き」 震えながら発せられた感謝の言葉に下を向きっぱなしだった顔が上がる。 「お嬢、様のため、早く元気、なってくださ」 お嬢様……私と妻の子の秀麗。 「そう、だね。私には秀麗がいる」 ああ、どうして忘れていたんだろう? こんなところに閉じこもっている場合ではない。 娘は大好きな母親が亡くなったばかりなのだ。 父するら傍にいなかったら、悲しみは増すだろう。 戸を開ける。 「ありがとう。……玉麗」 いつも少女の名を呼ぶのには勇気がいる。 感謝の言葉はすんなりと出るのに、どうしてもなるべく名を呼ばないようにしてしまう。 大好きだった大叔母様。 ふと、その姿が少女と重なる。 揺れる瞳は慈愛に満ち、何もかも許してくれる錯覚に陥る。 考えるよりも先に体が動く。 小さな体を抱きしめ、もう一度感謝の言葉を口にした。 「気づかせてくれてありがとう」 どうしよう。 近頃、黎深の様子がおかしい。 突然にやついたり、不気味に笑い出したり奇行が目立つ。 何か災厄が起きる前兆かもしれない。 慎重に対処しなくちゃならない。 邵可様関連かと思ったけど違うようだし。 ジッと黎深を見る。 眉間に皺はなく、不機嫌さの不の字さえもない。 楽しそうに鼻歌を歌いながら、今にも踊りだしてしまいそう。 ブルリと背中が震えた。 どうしよう、果てしなく不気味だ。 「ね、ねえ、黎深。近頃何かあったの?」 「ククククク。別に何もない」 扇で口元を隠しながらも、浮き足だった様子は隠せない。 何でこんなに上機嫌なんだ。 「そう言えば 「人にやった」 「はああ〜? ちょ、ちょっと、君本気でそれ言ってるの?」 黎深が玉麗様の形見を人にあげるなんて……。 天変地異の前触れ?! 始めに言っておこう。 人には、得手不得手というものがある。 大半のことが人並以上できる私だが、もちろんできないこともある。 だって、私は神様なんかじゃない。 いや、この世界だと仙人なんかじゃない!のほうがいいのかな? ごほん。 咳払いを一つして、現実逃避から返ってくる。 私の目の前には、主に黒くなって炭と化している物体。 いや、炭化しているだけじゃなく、爆破されたように穴が開き、容赦なくヘドロが飛び散り、この世のものとは思えない惨状。 これが、あの台所だなんて誰が思うだろう。 ってか、秀麗に知れたら殺される。 良かった、今、後宮に行ってて。 安堵の息を吐く。 どうして、普通に料理を作ってるはずなのに、台所が壊れるんだろう? 我ながら不思議でたまらない。 こっちにトリップしてくる前は、そんなことなかったのに……多分。 台所の成れの果てを見ながら、修理費の見積もりを出す。 「……早く新刊書き上げよう」 あっさりと結論を出して、自室へと引きこもる。 人間、死ぬ気でやれば何でもできる。 かつてないほど驚異的なスピードで小説を仕上げ、人を雇って台所を直してもらう。 それでも、不安なので職を探そうとした矢先に、助けた人の穴を埋める形でありつけた。 しかも、その勤め先が黄尚書の邸なんて美味しすぎる。 ……給料、前借させてくれないかな? 「もう! しつこいわね」 苛立ちを隠さずに三人の男に舌打ちする。 「いーだろ? 一緒にあそぼーぜ」 「ちょっとでいーからさぁ」 「カラオケとかどーよ」 さっきから断ってるのにしつこすぎる。 いい加減、限界が近づいてきたとき。 「すみませんが、自分の彼女に何か用ですか?」 え?と思う暇もなく手首を取られ、引き寄せられる。 「ああ?」 「何だと!」 「テメー……」 口を開きかけた男達は、青年の姿を見た途端黙り込む。 顔は青ざめ、逃げ腰になっている男もいる。 ざまーみろ! 心の中で舌を出す。 「用がないのでしたら、失礼しますね。それでは、行きましょう」 私の手首を掴んだまま、男達から離れて行く。 「あのー、手……」 さすがに恥ずかしくなってきた。 「すみません」 慌てて放して謝罪してくれる。 このとき、初めて青年の顔を見た。 瞬時に顔が朱に染まる。 「い、いいえ。助けてくれて、ありがとうございます。あの人たち、しつこくて困ってたんです」 「自分こそ、手を繋いだままこんなところまで連れてきてしまいすみませんでした」 「え、大丈夫です。この辺詳しいので」 謝る青年に気にしないで、と笑う。 それにしても、すっごい美形だな。 モデルのように背が高くて、俳優のように整った顔立ち。 学ランが少し窮屈みたいだけど、よく似合ってる。 うっとりしていると、青年と目が合う。 「そ、それでは、自分のこの辺で失礼します」 じぃっと見ていたのが心地悪かったのか、一礼して早足で立ち去ってしまう。 「あ」 しまった。 「名前聞くの忘れちゃったな」 惜しいことをした。 数日後、再会し見事名前を知ったと喜ぶも、実は彼こそが親友の弟だと知ったのは別の話。 2009.8.24 |