今日もいい天気だ。

 私は朝から竜笛を持ち、龍山へと来ている。

 黄家の仕事は週一で休みがある。

 今まで、休みの日でも仕事が終わってからでもひたすら執筆したり、墨絵を描いたり、読書に勤(いそ)しんできた。

 もう一度会いに来る。

 貴陽を出る前に、そう約束をした。

……のだが、自分のことばかりしていて来るのを忘れていた。

 何で早く来てくれなかったの?

 な〜んて文句言われるのが嫌なので、笛でも吹いて誤魔化そうって魂胆だ。

「ただいま」

 ひやひやしながら、目の前の木たちに挨拶をする。

<おかえり>

<遅かったね>

<待ちわびた>

 さわさわと返事が返ってくる。

「うん、ごめん。おわびに、笛でも吹くから許してよ」

 深く息を吸い、歌口に口付ける。

 鳴り出すメロディー。

 秀麗の二胡には敵わないが、人前で演奏できるくらいの腕前はある。

 旅をしているとき、これで金を稼ぐこともあったくらいだ。

 本当は二胡か琵琶がよかった。

 二胡は秀麗、薔君が上手かったし、琵琶は邵可が得意だ。

……聞いたことは無いけど。

 旅に、この二つの楽器を持っていくことは重くてできなかったので断念。

 結局笛を愛用することになった。

 好きだからいいんだけど、やっぱり家族とおそろいがよかったな。

 さあ、雑念を捨てて集中しなくちゃ。

 無心で無心で無心で――。





 唇を離すと、ガサリと近くで物音がした。

 しまった!

 演奏に夢中になりすぎて、こんな接近されてるのに気づかなかった。

「誰だ?」

 低い声を意図して出す。

<灰青色の髪>

<「ここはどこだ?」>

<どんどん山の中心へと向かってきた>

<「何で山なんかに……」>

 木たちが口々に言う。

 誰なのか検討がついて、迷い無く物音がした場所へと足を踏み入れる。

 絶対にあの人だ。

 私の胸は徐々に高まっていく。

『彩雲国物語』で一番好きな人。

「どなたですか?」

 視界に入る身なりのよい男に尋ねる。

「すまない。笛の音に誘われて……」

「それだけで、こんな山の中に入ってきたのですか?」

 もうちっとマシな言い訳を考えようよ。

 んなことあるわけないじゃん。

 風で流れたとしても、響くのは山の中だけだし。

 それも気づくのなんてこの頂上付近にいたとしか考えられない。

 案の定、男はグッと黙る。

 ちょっと虐めたいけど、したら嫌われそうだし止めとこ。

「私はこれから下るところなのですが、ご一緒にどうですか?」

 ここに一人残ってしまえば遭難するよね。

 分かっているからか、大人しくついてくる。

 ああ、やっぱり可愛いな。

「初めまして、私は紅と申します。ここで出会ったのも何かの縁。お名前を伺ってもよいでしょうか?」

 紅姓を名乗る私に、男は眉を寄せる。

「李絳攸だ」

 よっし、ビンゴ!

 やっぱりさー、名前聞くまで確信できないよね。

 勝手に呼んだら不審がられそうだし。

「もしや、李侍郎ですか? 最年少国試状元及第した」

 驚いたように目を輝かせながら、頷く絳攸を見る。

「でしたら、親戚ですね」

「親戚だと?」

「はい。確か私の父と貴方の養い親は兄弟のはずですよ。そうしたら、私たちは従兄弟になりますね」

「――っな!」

 目を見開き、顔を青くさせる。

 ようやく、私が誰だか分かったらしい。

「もしや、邵可様の……」

「息子のです。お会いできるのを楽しみにしていました」

 ふふっ、秀麗とは違い、ちょっとは紅家のことを知ってます。

 そう邪気の無い笑顔を向ける。

「え、では、……様は紅家の事情をご存知なのですか?」

 事情……なんじゃそれ?

 黎深の兄バカ姪バカのことだろうか?

 まさか甥バカも入ってるのか?

「私の家は紅姓でも一番の貧乏ですし、一族とは絶縁状態みたいですし……」

 知りませんと言葉を濁しておく。

 実際何のことか分からないし。

「あ、いえ、そうではなく、俺の……私の養い親をご存知で?」

「いいえ。父の弟ということしか知りません」

 キッパリスッパリ嘘を吐く。

 私は黎深が叔父だと名乗り出るまで会わないつもりだ。

 もしくは、知らないフリ。

 絳攸のことは知ってても、黎深まではちょっと……ね?

 その方が面白そうだし。

「そう……でうすか」

 シュンとうな垂れる絳攸に、私はさっきから気になってたことを振る。

「あの、私の方が年下ですし、敬語は止めてください」

「は? 俺よりも年下だと?!」

 おおっ、地が出た。

 私は十五にしては背が高いが、老けているつもりはさらさらない。

 二十二の絳攸と身長は同じか、私の方が若干高いけど。

 うん、老けてはないぞ!

「秀姉上の一つ下なんですよ、これでも。秀姉上……秀麗には会われましたか?」

「ああ。彼女は私が親戚とは知らなかったから、てっきりお前も知らないものと思っていた」

「そうですね。世界が違いすぎますから、知らなくても問題ないですし。私も友人に言われるまで知りもしなかったですから」

 これは本当だったりする。

 最年少国試状元及第者が出たんだって、と尋ねると決まって皆口にする。

 お前の親戚じゃん。

 ちなみに叔父のことは、向こうから会いに来てくれるまで教えないでくださいねーと釘を刺している。

 きっと彼は私たちのこと嫌いですから。

 傷ついてます、と切なげに言えば皆頷いてくれた。

 ふふ、人間ってちょろいな。

「それにしても、無事に戻ってきたんだな。私の養い親も随分と心配していたぞ」

「あはは、すみません。でも、代わりに多くのものを得ました」

 死にそうになったことは、一度や二度ではない。

 怪我は日常茶飯事だし、裏切られなかったことなんて無い。

 辛くて苦しくて痛くて、もう死にたいとさえ願ったこともあった。

 だけど。

 それすらも、チャラにするほどのものを手に入れた。

 何ものにも変えられないくらい大切なもの。

 旅をして本当によかった。

「来年、父上さえ了承すれば国試を受けます」

 突然の私の言葉に絳攸は息を呑む。

 万が一でも私が状元及第すれば、絳攸と同じ最年少及第者となる。

 おそろいっていいよね、無理そうだけど。

 なんて、とにかく何番でもいい。

 国試なんか受かりさえすればいい!

 私が国試を受けるのは、秀麗が心配だからだ。

 初の女性官吏ってことで命を狙われる。

 少しでも、助けてあげたい。

「そうしたら、同じ職場で働きたいものです」

 にっこり言うと、苦笑された。

「自信家だな。受けたら受かるつもりでいるのか」

「もちろんですよ。受験料がもったいないじゃないですか」

 これは切実な問題だ。

 我が家の家計は火の車。

 チャンスは一度きり。

 それ以上はお金がかってムリ。

「気にするな。金のことは俺が面倒を見よう」

 マジで?!

 絳攸っていいこだなー。

 でも。

「いいえ。そのために貯金をしてますから大丈夫です」

 後少しで、目標金額に達する。

 今まで、地道にコツコツと貯めてきたおかげだ。

 やっぱり、自分のお金で受けたほうが気持ちいいし、変なプレッシャーもかからなくていいだろう。

「そうか、出すぎたことを言ったようだな。勉強くらいなら見てやれるから、分からないことがあれば言ってくれ」

「ありがとうございます」

「いい。お前は俺の『従兄弟』なんだろう?」

 ふんわりと浮かべる笑顔は反則だ。

 可愛すぎるよ。





 色々なことを話しているうちに、いつの間にか都まで下りてきていた。

「それでは、この辺で……」

「ああ、またな」

 その言葉が嬉しくて。

「はい。お気をつけて、絳兄上」

 ポロリと出てしまった。

 徐々に親しくなってから、そう呼ぶはずだったのに早まったか?

 ま、言っちゃったものは悩んでも仕方ない。

 背中を向けて逃げるように、家へと向かった。





2006.10.11