紙を見ながらウロウロ。

 日本へ来てから約一ヶ月。

 学校から家までの必要な道は覚えたが、そこから少しでも外れれば怪しくなる。

 道を覚える。

 そんなことを名目にして、ネットで見つけた碁会所を探している。

 駅前にあるということなので分かりやすいと思ったのだが、これがなかなか見つけられない。

 仕方ない、人に聞くか。

 がそう思ったとき。

「どこか探しているんですか?」

 おかっぱ頭の少年が声をかけてきてくれた。

「すみません。駅前に碁会所あるということなのですが知ってますか?」

 正直、は駄目元で聞いた。

 碁はマイナーなものだから、子どもでは知らないかもしれない。

 すまなそうな表情をするに少年はにっこりと笑う。

「こっちです。ボクも行くので一緒に行きませんか?」

「あ、君も碁を打つんですか?」

 少年の申し出を素直に受け、フと思った。

 碁会所を知っていて、そこに行くなら碁も打てるんじゃないか?

 見れば、少年は同じくらいの歳。

 日本には碁を打つ友人はいないから、何となく気になる。

「はい」

 予想通り頷いた。

「良かったら、自分と打ちませんか?」

「はい。棋力はどれくらいですか?」

「……自分は互戦を希望します。いいですか?」

 このくらいの歳で碁を嗜んでいるのなら強いのだろう。

 多少浮かれながら口に出した提案を相手は呑んでくれた。





「アキラくん、いらっしゃーい」

「こんにちは、市川さん」

「北島さんが待ってるわよ。今日は若先生と打ってもらうんだって」

 クスクス笑う受付の女性に、少年は考えるように眉を寄せた。

「実は先客がいるんです」

「先客?……あら!」

 首を傾げてから、ようやくに目を向けた。

 今まで少年の後ろにいたのだが、全くといっていいほど気づいてなかったようだ。

 苦笑しながら頭を下げるに、女性の頬は赤くなり、ごほんと一つ咳をした。

「き、北島さんには私から言っておくわ。奥の席空いてるからそこで打ってきたら」

「うん」

 アキラを見送り、袖の中から財布を取り出す。

「いくらですか?」

「千円よ。貴方、アキラくんの知り合い?」

「いいえ、道に迷っているところを助けてもらい、自分が誘いました」

 道に迷ったの?

 いい大人が……。

 女性はの言葉に目を丸くし、呆れ半分に苦笑する。

「アキラくんは強いわよ。貴方も揉まれていらっしゃい」

「そうなんですか。楽しみです」

 同年代には負けたことがない。

 試合外で対戦するときはハンデをあげているので、互戦で勝負するのは久しぶりだ。

 が席に行くと、既に準備は整っていた。

「ニギリはボクがニギっていいですか?」

「はい、いいですよ」

 ニギった結果、は後手の白。

「お願いします」

「お願いします」

 戦いが始まった。





「……ありません」

 少年が頭を下げ、勝負は終わった。

 面白い碁だったな。

 喜ぶだが、結果は圧勝だった。

 ちょっとやりすぎたかなとは思うが、本当に楽しく打てた。

 こんな感覚は久しぶりだ。

 満足そうに盤面に目をやるは、あることに気がついた。

「名前、聞いてませんでしたね」

 おかしなことに相手の名を知らなかった。

 もしかしたら、この人と友達になれるかもしれない。

 そう思っていただけに、何とも間抜けな感じだ。

「え?」

「自分はと言います」

「あ、ボクは塔矢アキラです」

「塔矢さ……くんは強いですね。ココ、こうくるとは思いませんでした」

 スッと指差すと、暗い顔をしていたアキラの顔が一変。

 目に力が戻り、生き生きとした表情になる。

「いえ、ボクもまさかこう返されるとは思いませんでした」

「苦し紛れですよ。次の手で、塔矢くんがこっちに打ってきたのでいかされたんですよ」

「あ! そうですね。ボクがこっちに打っていれば」

 白熱した検討をしてから、もう一度打った。

 もちろん、の勝ち。

 喋り過ぎて喉が痛くなり、受付の女性が持ってきてくれたお茶を飲む。

 一息吐いてから、は気になっていたことを聞く。

「塔矢君は何段ですか?」

 日本棋士は有名な人しか知らないが、塔矢という名には覚えがあった。

 相手に負けたとはいえ、この実力ならプロだろう。

 碁会所に来たときの「若先生」発言からも伺える。

「ボクはプロではありません」

 首を振るアキラに、は目を瞬かせる。

 この実力でプロじゃないなんて……。

 驚くに、今度はアキラが尋ねる。

さんはプロですか?」

「いいえ、自分は違います」

 の否定にアキラはギョッとする。

 あまりの驚き具合に苦笑するは、なぜだがちくりと胸が痛んだ。

 アキラの問いに否定したことは嘘ではない。

 今はもうプロではない。

 嘘ではないのだが、何となく決まりが悪い。

 胸の中のもやもやする違和感を無視して、難しい顔をしているアキラに声をかける。

「塔矢くん、来月空いている日はありますか?」

「はい。この曜日は大抵来てます」

「良かったら、また自分と打ってくれませんか?」

 暫く打たないと腕が鈍る。

 ネット碁ばかりでは味気ないし、検討したりと話せる人が欲しい。

「はい、ぜひ! もう、帰るんですか?」

「はい。こっちに来たばかりなので、迷ってもいいように早めに帰ります」

 が席を立つと、慌ててアキラも立つ。

「それでは、また会いましょう」

「はい、また!」





 これから後(のち)、友人となり、親友となるまでに時間はかからなかった。





2007.2.1